元バレボール選手としての素晴らしい経歴に加え現在も活躍中の大林素子さん。その圧倒的マンパワーを公開させていただきます!
プロフィール
生年月日 1967年6月15日生
東京都小平市出身
【バレーボール選手としての活躍】
中学1年からバレーボールを始め、中学3年の時に東京都中学選抜に選出される。
高校バレーボール界の名門八王子実践高校に進学
86年日立入社
88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタと五輪3大会に連続出場✨✨
95年にイタリアセリエA・アンコーナに所属。日本人初のプロ選手として活躍。
帰国後は東洋紡オーキスに所属
97年に引退
【引退後】
スポーツキャスターとして大会の解説等、スポーツの普及活動
タレント、女優としてジャンルを問わずTV、映画に出演
【その他活動】
日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー
JOC環境アンバサダー
福島県・しゃくなげ大使
小平まちづくり観光大使
会津若松市観光大使
環境省チャレンジ25キャンペーン応援団
JVA(日本バレーボール協会)広報委員
観光庁「スポーツ観光マイスター」
2015オリンピック・ムーブメントアンバサダー
JVA(日本バレーボール協会)テクニカル委員
小さい頃からの夢
「私は女優になるんだ、歌手にもなる、と心に誓っていました。バレーをプレーしている間はずっと封印していましたが、実は幼い頃から憧れていたんです。宝塚歌劇団のミュージカルや音楽番組などを見て、家の中で歌や踊りを真似、いつかあのスポットライトを浴びるんだって想像していたんです」
そしてその夢を実際に実現してしまうのが大林素子さんのすごいところ。
「日本演劇界の巨匠・蜷川幸雄さんに手紙を書きました。『お会いしたいです』と。念願が叶って初めて会った時に『大林君、どうして舞台をやりたいの?』と聞かれたので、幼い頃からの思いを伝えました。無心で思いを伝えた私に、蜷川さんは役を与えてくれました。’10年に『ファウストの悲劇』という、野村萬斎さん主演の舞台に起用してもらうんです。その後も何本か蜷川作品に出演させていただきました」ノンフィクション作家・小松成美が迫ったオリンピアンの栄光と苦悩 第6回
蜷川幸雄さんといえば怖い演技指導で知られる世界的に偉大な演出家。その蜷川さんに迷いなく直談判する大林素子さんの、本当に女優になるんだという、真っ直ぐな想いが伝わってきますね。
講演の依頼も多数
講演テーマ
【マイドリーム】
【仲間との出会いのなかで】
チャレンジ精神、挑戦し続けることの大切さを伝え続けておられ、講演依頼も引きも切らない。
大のお笑い好き
お笑い芸人が大好きで週3回は劇場に足を運ぶという大林素子さん。お笑いに関する知識も豊富。沢山の芸人さん達からも慕われている。
近況
8/3水曜日夜9時から
『上田と女が吠える夜』に出演
大林素子さんオフィシャルブログはこちら↓
https://ameblo.jp/motoko-oobayashi/
まとめ
厳しいスポーツ界での輝かしい実績を積んだだけでなく、その後の快進撃は素晴らしい!の一言!これだけの業績がありながら、バラエティ番組で見られるお茶目な一面や、親しみやすい笑顔が素敵ですよね。
ご本人はご自分は才能はなく努力の人、と仰っていますが、努力の達人なのは勿論のこと、多方面から愛される人間力があったからこそ現在のキャリアを築いてこられたのでしょう。
今後もご活躍が期待されますね!!
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